甲州光沢山青松院

 色即是空 

平成15年11月号


  色即是空(しきそくぜくう)という言葉は有名な言葉である。 般若心経の中に出てくる言葉である。然しまたたいへん誤解されている言葉でもある。

  その昔、小島何某という著名な漫画家が描いた坊さんの姿を思い出す。頭を丸めた 出家が、道行く妖艶な女に思わず心を奪われそうになり「色即是空・・・色即是空・・・」 と呟く一場面である。然し色即是空はもっとフィロソフィカルである。然らば 色とは何か。認識の対象となる形ある物質的存在の総称、と辞書にはあるがこれだけ では合点がゆかぬ。高僧に「色すなはちこれ空なり」と説かれても、煩悩多き凡夫の 耳には「四季すなはちこれ喰うなり」と聞こえ、ロクな働きもしないで一年中食って ばかりいる自分に対するアテ付けでもいわれているのかしらと不安になる御仁もあろう。

  ぶっちゃけた話をしよう。私は今一枚の紙に鉛筆で原稿を書いているとする。 締め切りや内容を気にしながらあくせくしている自分とは別に、ここにぽつねんとして ある紙と鉛筆はまるでそれ自身独存しているかのようだ。しかしそれらは偶々いま 私の手元にあるが、もとはといえばスーパーで買ってきたものである。

  もっといえば原材料の木は太陽の恵み、雨水等によって育つ。それに樵、職人、 運搬業者の手が加わっている。それらの人々を支える家族の愛情も忘れてはならない だろう。雨水にしたって大小さまざまな流れとなり、大海に帰入し、蒸散によって 大空へ昇り、温度等の条件により雲になり雨となって地上へ降りる・・・。 偉大なる循環である。地球へと降り注ぐ太陽の光にしても適温だから生き物は育つ。 地球の位置が少しでも金星の方に寄っていれば地球はもっと暑くなるだろうし、逆に もっと火星に近ければ冷たくなりすぎて生き物は存在しないだろう。

  大げさなことを言っているように聞こえるかも知れぬが実際そうである。 絶妙なるバランスである。森羅万象、ものを支えている偉大なる陰の力に気づくのである。 この気づきこそ色即是空である。不足をいい文句を言いつつもこの現象界の相互依存の 真っ只中に自分がある事を思うとき、思わず「有り難し」と云わざるを得ないのである。 古人が「一粒の朝露の中に全宇宙を映す」とか「一微塵の中に須弥山を容れる」とか 云っているのはけして嘘ではないのである。

  然し色即是空だけでは虚無主義、ニヒリズムの匂いがする。 そこで心経では空即是色と翻る。絶後に再蘇、絶後に蘇息するのである。 空即是色の色は色即是空の最初の色ではない。真実の空の中の妙有、真空妙有である。 「無一物中無尽蔵」という禅語もこれに近いであろう。私たちは生かされているということに 気づいたとき、他をよりよく生かすということに進一歩、歩みを進めねばならないのである。







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