甲州光沢山青松院

 省あり 

平成16年7月号


   6月12日にNHKで大本山永平寺宮崎奕保禅師さまのご様子が放映された。 百四歳になられる禅師さまのお年を感じさせない行住坐臥は視聴者に 大きな感銘を与えたことだと思う。「ほとけさんの真似をする」ことから 続けられた朝の坐禅が、今日まで休まず続けられたことを思うと われら凡夫を勇気付ける。かつて曹洞宗の名僧沢木興道老師は 「猫の恋人は猫、豚の恋人は豚、人間、仏さんの真似をすると 仏さんになる・・・」と例の面白い調子で説かれたのは記憶に新しい。 沢木老師といえば、口減らしでバクチ打ちの家へ子に遣られたが、 発心して坊さんになり、遍歴修行を続けた偉い坊さんである。 「宿無し興道」といわれた。小学校しか出ていないのに大学の先生にも なられた立派な方である。親の敷いてくれたレールに乗り、 「お勉強」をして大学の先生になる「先生」とはわけが違うのだ。 だからお話も味があって面白い。良し悪しの分別を捨てることを 「打ち方止めい!」などと戦時中の言葉で仰る。 「現象学的還元」などと、どこぞの哲学者のように難しい言葉はお使いに ならない。ある時、いつも自分を小僧扱いして偉そうにしていた飯炊き ばあさんが、沢木老師が坐禅する姿を見てなんと合掌しているではないか。 このクソ婆さんが俺を見て合掌している。それ以来坐禅の有り難さが わかったということを述懐されておられる。まことに「仏の真似び」 は尊いものだ。人間、泥棒の真似をすると立派な泥棒になる。 仏さんの真似をすると立派な仏さんになる・・・。

  禅ではよく「正念の相続」というが、正念ならずとも 「相続」自体がわれら凡夫には至難の業である。禅師さま、 お若い頃「仏の真似び」から始められた朝の坐禅が、百四歳になられる 今日まで続けられていることを思うとき、あらためて禅師さまを貫く 仏祖の偉大さを思わずにいられない。かつてある企業の経営者は、 経営の要諦を尋ねられたとき、「当たり前のことを休まず継続して やっていくだ」と即座に返答されたが、わたしたちの「人生という経営」の 要諦も案外そのへんに秘密が隠されているかもしれない。 それは宮崎禅師さまが仰っておられた平生底(平常底)につながる。 日常を大事にしろということだ。かつて病を得られたとき、 正岡子規の『病牀六尺』を読んでいたく感動された。 子規もまた病床にあって己の境涯を深めた人である。 次のように書いている。

余ハ今迄禅宗ノ所謂悟リトイフ事ヲ誤解シテ居タ 悟リトイフ事ハ如何ナル場合ニモ平気デ死ヌル事カト思ッテイタノハ間違イデ 悟リトイフ事ハ如何ナル場合ニモ平気デ生キテ居ル事デアッタ

  「生死一如(しょうじいちにょ)」 「武士道とは死ぬことなりと見つけたり」 「いつ死んでもいいような今を生きているか」などの言葉はよく誤解される。 平気で死んでいいということではないのである。 われわれは生きなければいけないのである。 生ある以上は徹底して生きなければいけないのである。 「生」に対して畏敬の念を持っておつとめをしなければいけないのである。 その上でのお悟りである。悟りとは神秘体験ではない。 絶対者との合一体験でもない。 平常底のなかにあるものなのだ。 道元禅師の仰る「ショウジのなかにホトケあればショウジなし」である。 「生死」は「せいし」と読むと刹那的なる印象をぬぐえないが、 「しょうじ」と読んではじめて生老病死(ショウロウビョウシ)として 理解される。四苦八苦の迷い多きわれらの日常の生き様である。 その平生の生き様から離れてお悟りはない。このことに関して禅の テキスト『無門関』第七則「趙州洗鉢」の話はきわめて示唆に富んでいる。 (『従容録』では三十九則)

趙州じょうしゅう ちなみに そう問う、 某甲それがし乍入叢林さにゅうそうりんう、 指示しじせよ。
しゅう いわく、 きつ しゅく おわるや いまだしや。
僧曰く、粥了れり。
州曰く、 鉢孟はつうを洗い去れ。
其の僧、 せい有り。

(叢林は種々の木々が群れあってできる林のことだが、 転じて修行僧が集まる禅宗寺院のことを言う。 日本でも中世以後京都や鎌倉の大寺院を叢林とよぶ。 ここでは中国の話。「乍」は急にの意。 「粥」は朝食のおかゆ。鉢盂はおわん。)

  さて、趙州和尚に新しく道場に入ってきた新米の雲水が尋ねる。 「わたしは入ってきたばかりです。何かご教示ください。」趙州は云う。 「お粥はもう食べたか」、新米の雲水は「はい食べました。」と答える。 そこで趙州は「食べたらあとお椀を洗っておきなさい。」 そこで雲水は「省あり」、大いに気づいたというのである・・・。

  いったいこの新米の雲水は何に気づいたというのか。 当代随一の禅匠であった趙州和尚からなにか高邁な禅哲学でも拝聴できる と思ったのか。ところが和尚の一言は極めて日常的な問いかけであった。 問うたつもりが逆に問われる。おまえさん、朝ごはんのお粥はもう食べた のかと。食べたらちゃんと洗っておけと・・・。新米雲水はハット気づくの である。仏道とはわれわれの日常生活そのものである。遠いところにはない。 また今まで積み重ねてきた旧知旧見を振り回すことでもない (鉢盂を洗い去れ)。禅における悟りは常に「いま・ここ・わたし」を 置いてほかにはないのである。

  道元禅師にも中国での老典座との有名な出会いがある。 ギラギラと照る炎天下の下、68歳になる老典座 (お台所を預かる禅院での重要職)がシイタケを干しておられる。 道元禅師は言葉をかける。

道元 「如何いかん行者あんじゃ人工にんくを使わざる」
老典座ろうてんぞ  「れにあらず」
道元 「 天日てんじつ つかくのごとく熱す、 如何ぞかくのごとくなる」
老典座 「さらに何れの時をか待たん」 
(『典座教訓』)

  「どうして使用人の者にやらせないのか。あなたのような 既に修行を積まれた方がやるお仕事ではないじゃないですか。」 この問いかけに老典座は「他の人にやらせると自分の仕事にはならない」と 云い「だからといってこんな暑い日にやらなくてもいいじゃないですか」と の道元の更なる問いに「今やらないといつやるというのか」と答える・・・。 「佗は是れ吾れにあらず」も「さらに何れの時をか待たん」も今では有名な ことばになっているが、道元禅師はこの会話のあと「山僧しばらく休す」と 述懐される。しみじみと感じ入り、ハット気づかれたのである。 これも「省あり」である。

  ヘン(彳に扁)界不曾蔵(へんかいかつてかくさず)、 明歴歴(めいれきれき)、露堂々(ろどうどう)などの言葉は、 真理・仏性・法性などとよばれるものは秘密裏にあるのではなく、 われわれを取り巻いている日常、平生の中に包み隠さず現れていることを 示している。百四歳になられる禅師さまのとうといお姿、 お言葉から私たちは大いに気づかされるのである。省あり。 わたしたちが受信するアンテナをしっかり立て、絶えず磨き、 聞き分ける耳を持っていれば、真理、真如はいつも眼前に さらけ出されている。 わたしたちが気づく気づかないに関わらず、この日常の中に。







曹洞宗光沢山 青松院
無断転載を固く禁じます。
Copyright 2004-2005, Seisyoin.