甲州光沢山青松院

  自灯明 法灯明 (じとうみょう ほうとうみょう) 

平成18年1月号


  例年になく寒さの厳しい年の暮れでした。凍てつくような冬の夜、 ゴトゴト音をたてる風の声で夜中ふと目が覚めることがあります。 真っ暗な闇の中で思わず空漠とした感に襲われ、灯火のない中、 この世の中のいろんなことを考えたり、現在の日常のこと、 また亡くなっていかれた方々が遺された言葉の意味を 考えたりすることもあります。人生もある意味では暗夜行路です。 ひとつひとつの先人の「教え」がなければどのようにして舵を とっていったらよいのでしょうか。

  お釈迦さま、最後の御説法のひとつに「自灯明、法灯明」が あります。お弟子さまの一人が、「先生が亡くなられたらわたしたちは 何を拠り所として生きていったらいいのでしょうか」と問いかけられます。 それに対し釈尊は、「自らをともしびとして生きなさい。法をともしびと して生きていきなさい。」とお示しになられます。

  仏教が伝わってから二千六百年、良い時代ばかりでは ありませんでした。いろんな事情で弾圧され、経典が焼かれたり、 仏像が破壊されたりしたこともありました。そんな逆境でも心ある 禅僧たちは、自らの心の中にこそ仏心、仏性が宿っていると信じ、 己事究明を倦まず怠らず歩んできました。だからこそ禅宗は「仏心宗」と もいいます。

  人生には、利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽の八風が 吹くと言います。八風どころではありません。いつどんな風が吹い て飛ばされてしまうかも分かりません。行く先々、どんな風が吹いても 消えぬ灯火を持ちなさいとお釈迦さまはおっしゃったのではないでしょうか。

  また、暗い海上で、自らともし火となって行く船が、同じような 船と行きかって汽笛を交わすとき、どんなにか心強いことでしょう。わたしたちの 人生における「出会い」もまたそうです。強い灯をともしている人、 小さいけれど吹き飛ばされないでしっかりあたりを照らしている人・・・ いろんなともし火に出会うことができます。

  本年一年また先人の「教え」から学び、檀信徒の皆様と 歩んでいきたいと存じます。







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