甲州光沢山青松院

 花開世界起 

平成17年3月号


老梅樹ろうばいじゅの「 忽開花こつかいか」のとき、 花開世界起かかいせかいきなり。 花開世界起かかいせかいき時節じせつ、すなはち 春到しゅんとうなり。 (正法眼蔵 梅花)

  立春を過ぎて小春日和の温かな陽射しが窓から差し込むか と思えば急に冷え込む。この時期の雪は決して珍しくはないが、 陽気が続いた後の冷え込みはつらい。それでも開きかけた梅の枝の周りを きっとメジロであろう、つがいで飛び回っている様子を見ると一幅の絵を 見ているようだ。春の訪れを感じる。梅に鶯、などというと花札を連想 される向きもあるが、梅にメジロという取り合わせも悪くはない。 花開世界起、花開いて世界起こる。春が来たから花が開くのか、 花が開くから春が到来するのか・・・。それは人間の理屈というものだ。 因果といい、因縁という。種をまくから芽が出て花開き実を結ぶ。 種は「因」(直接的要因)であり、温度や光、水分、地面の状態等の 諸条件は「縁」(間接的要因)であると喩えることがある。それは そうに違いない。傍目から見ていていくら相応しいカップルでも「縁」が なければ出会えない。またこの時期、求職者も「縁」によって会社に 入ることがある。ご縁があってね・・・などとわが日本語にはある。 しかしこれもまた理屈というものである。すべては花開世界起、「起」 だけである。

起はかならず時節到来なり、時は起なるがゆゑに。(正法眼蔵 海印三昧)

  すべては世界のできごと。喜びも悲しみも、出会いも別れも、 世界のできごとである。曹洞宗の師家であられた故余語翠巌老師は これらをわが人生の「荘厳道具」と仰った。荘厳道具とは人生という 一回きりの舞台を色とりどりに飾ってくれる道具立てである。 荘厳道具のない人生などつまらんではないかと。遷化される直前、 お話をうかがったことがある。「仏法の法という字は水が去っていく と書くやろ。ワシもいかんならん。後がつかえて困る・・・」その後 しばらくして老師は逝かれた。

おほよそ滅は仏祖の功徳なり。(正法眼蔵 海印三昧)

   生も老も病も死も、ひとつひとつ見れば生であり老であり病であり死である。 しかし生老病死はひとつの出来事、「起」である。その生老病死を 生死(ショウジ)として道元禅師はとらえた。生死の中に仏あれば生死なし。 「障子の中に仏あれば障子なし・・・」とある篤信家は子供のころ覚えた という。「生」と「死」の問題に煩悶して師匠を問い詰めた弟子がいた。 求道心あふれる弟子である。碧巌録五十五則にでてくる。 道吾は弟子の漸源を連れてある不幸のあった家に弔問に出かける。 棺桶を叩いて弟子は師匠に詰問する。「生なのか死なのか」 師である 道吾は答える。「生ともまた道わじ、死ともまた道わじ」 (仏法の根本的真実を「いう」ときは「道う」をしばしば用いる。) 生きておるとも言わん、死んでおるとも言わん、と師は答えたのである。 なぜ言わないのか、さらに弟子は問うが師は「道わじ、道わじ」と突っぱねる。 生死を超脱した立場からは生とも死ともいえないのを理解しない弟子は ついに師匠をぶん殴ってしまう。弟子は自分が生と死が別のものであるという 対立的な考えを持っていることに気がついていない。死んでしまったら 「死」はない。今日一日生きるということは今日一日死ぬということだ。 「道わじ、道わじ」と何度も言われているのに気がつかない。 しまいに切れてしまう。

  禅的に死を捉えるのでなく文学的情緒的に死を捉えると どうなるか。アララギの歌人斉藤茂吉に「死にたまふ母」という 五十数首からなる連作がある。

みちのくの母のいのちをひとめ見んひとめ見んとぞただに急げり

はるばると薬をもちて来しわれを見守まもりたまへりわれは子なれば

死に近き母に添い寝のしんしんと遠田とおだのかはづ天に聞こゆる

のど赤き玄鳥つばくらめふたつ 屋梁はりにいて 足乳根たらちねの母は死にたまふなり

  自分を産んでくださった母の死さえ昨今は三人称の死に なろうしてしている。暑い暑いと汗をかきながら、 寒い寒いと暖を取りながら通夜から葬儀、葬列を営んだのは もう遠い昔のような気がする。枕もとへ薬を持ち来る自分を 見つめる母は何を思うのか。母と私とかはづの声はそれぞれ別の物ではない。 生命の象徴であるのど赤き玄鳥の下で昇天する母の一首は絶品である。 田舎家の虚空が宇宙を包む。亡母は蓮の花を開かせ作者は「悲しみ」の 花を開かせる。「悲しみ」の花開くとき人は本当の人になる。







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