甲州光沢山青松院

 不識 

平成17年7月号


  六月から七月にかけて日が長くなってくると子どもたちは けっこう遅くまで遊んでいる。鬼ごっこやカンけりなど、お友達と 「仲間遊び」をしている光景は、見ているものにもなにかしら安心感を与える。 部屋にこもられて、ゲームなどに夢中になっている姿などは想像するだけでも おぞましい。母親も眉間にしわを寄せて叱責するし、子供のほうも叱責を受けて ストレスがたまる。悪循環の連鎖である。戸外での遊びのほうがはるかに健康的である。 その昔、「カンけり」によく似た遊びで「ぽこぺん」という遊びがあった。 じゃんけんで負けたオニが背中を向けて自分で目を隠す。みんなが取り囲んで オニの背中を誰かが突っつくのである。「ぽこぺん、ぽこぺん、だーれがつっついた!」 などと歌いながら突っつく。当ればその人がオニ、あたらなければオニはもとのまま。 後ろを向いて五十か百を読む間にみんなは逃げて隠れる、という遊びだ。数を数えるのが おもしろい。普通に「いーち、にー、さーん…」などとは云わない。京阪地方では 十を読んでいくのに「ぼんさんがへをこいた」などという。「ぼんさん」とはお坊さんの ことだ。したがって百を数えるには「ぼんさんがへをこいた」を十回繰り返す。関東では 「だるまさんがころんだ」などという。どちらが上品かは問わないことにしよう。 文化の違いはおもしろい・・・。

  そのだるまさんは達磨大師といい禅宗(今日では臨済宗、曹洞宗、黄檗宗)の 初祖なっている。インドから中国に禅を伝えた人だ。中国に来たとき、仏教の外護者で あった梁の武帝との有名な問答がある。従容録や碧巌録の公案集にも採録されている。 仏教を学び、また自らも仏法の実践者として自他共に認じていた武帝が、インドから 立派な聖人がきたというので、「私は今まで寺院も建立し、坊さんにも供養してきた。 どれだけの功徳があるか」と達磨に問う。それに対して達磨は「無功徳!」と突き放す。 ずいぶん冷たい返事である。

  仏教の研鑽も積み、経典も講じる仏教学者でもあった武帝は、 「如何なるか聖諦第一義」と、仏法ぎりぎりのところを更に達磨に詰問する。 わたしは色即是空、空即是色もちゃんと理解している。色・空、どちらに偏して もいけない。ひとつひとつの事象はコインの裏表のように、色と空との不二一如で あることをちゃんと理解しているぞ、と。それを理解したうえで「如何なるか 聖諦第一義」と尋ねているのだ。さあ達磨さん、あなたはどうお答えなさるか。

  明らかに相手の力量を見ようとの質問である。達磨は平然と答える。 「廓然無聖」(カクネンムショウ)― 日本晴れの青空のようにカラリーと晴れていて、 あり難い「聖」なるものなど何一つないよ、と。郵便やさんが郵便を配り、 左官屋さんが壁を塗り、禅宗の坊さんはナムカラタンノー、 浄土宗はナマンダブナマンダブと読経する。カラスはカーカー、猫は春になれば ニャゴーと鳴いて恋人を探す。梅雨がくればじとじと長雨が続いてお田植えを 助ける・・・。なにも特別なものがあるわけではない。 みんなそれぞれありのままが「いのち」の顕われである。


こえもなく  もなく つねに  天地あめつちは  書かざる きょうを くりかえしつつ

  二宮尊徳翁の歌だそうである。道元禅師にも次のみ歌がある。

峰の色  谿たにのひびきも  みなながら わが釈迦牟尼の 声とすがたと

  「如何なるか祖師西来意」―達磨がインドから中国へ禅仏教を伝えた意図は何なのか。この問いは後に修行僧が諸国を行脚して師を尋ね、研鑽を積んでいく常套句となる。「如何なるか仏(ほとけ)!」と同義である。

  「ほとけ」とはそもそも何なのか。二千六百年前にお釈迦様が出現なされ、 法をお説きになり、お亡くなりにあった後もお弟子さんや教団が法灯を絶やさないで 今日に至っている。いまでも「ほとけさん」という言葉でわたしたちの日常に とけこんでいる。しかし考えてみれば「ほとけ」という言葉もずいぶんいろんな意味で 使われてきている。「仏」(ブツ)はもともと「目覚めた人、覚者」の意味であったが、 「ほとけ」と訓読みで読むようになってからは死者のことをいったり、ご仏壇のことを いったり、「仏さんが見ている、怒る」などと超越者のように使うこともある。 お家にご仏壇のない人でも、まだ人生の悲しみや苦しみと無縁の若い人でも、修学旅行で 美しい仏像などに触れると「ほとけさん」は急に身近になる。大人たちが言う 「ほとけさん」ていったいどんなものなのかと、がんぜない子どもが不思議に思うのも 無理はない。


八つになりし年、父に問ひて云はく、「仏は如何なるものにか候ふらん」といふ。父が云はく、「仏には人のなりたるなり」と。また問ふ、「人は何として仏には成り候ふやらん」と。父また、「仏の教えによりて成るなり」と答ふ。また問ふ、「教へ候ひける仏をば、何が教へ候ひける」と。また答ふ、「それもまた、先の仏の教へによりて成り給ふなり」と。また問ふ、「その教へ始め候ひける、第一の仏は、如 何なる仏にか候ひける」と云ふ時、父、「空よりや降りけん、土よりや湧きけん」と言ひて笑ふ。
(徒然草第二百四十三段)

  子どもが少し智恵づいてくるといろんなことを質問してくいさがってくる。 吉田兼好は八歳のとき、ほとけさんのことを尋ねて父を困らせた。「ほとけさんとは どんなものですか」「人間がなったものだ」、「どのようにしてほとけさんになったん ですか」「教えによってなったのだ」、「その教えたほとけさんは誰が教えたのですか」 「それもまた前のほとけさんが教えたものだ」、 「その教え始めた最初のほとけさんはどのようなものでしたか」 「空から降ってきたのか、地から涌いてきたんだろう」と、最後は笑って誤魔化して しまうという話である。「誤魔化す」というと語弊があるが、お前ももっと大きくなると 「段段と」と分かると。行きつ戻りつ、恥もかき、やり損ないもしながら 「段段と分かる」ということ。けして性急にあせってわかる必要はないのだよ、と。

  さて、梁の武帝は最後に、「朕に対するものは誰そ」と達磨に 問いをかける。わたしに対しているあなたはいったい誰なのか、と。達磨は 決定的な一語を残して去っていく。「不識」、知らない、と。積んできた功徳も 無功徳と云われ、聖諦第一義も廓然無聖と云われ、最後は「不識」である。 無―、不―という否定の働きがおもしろい。「分からない」という分かり方、 「知らない」という知り方、「これなんぞ」という分かり方、一千五百年前の 武帝と達磨の問答は極めて味わい深く含蓄にとんだものとなっている。

  あなたは今どこにいるのか。どこから来てどこへ行くのか。 無功徳、廓然無聖、不識は武帝だけのことがらではない。今日なおわたしたちが 問われている極めて実存的な問いである。







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