甲州光沢山青松院

 蜂の花を採るに 

平成17年8月号



蜂の花を採るに、但だ其の味のみを取って、色香を損ぜざるが如し。
(遺教経)


  梅雨があけ、夏らしさを増すようになってくると 否が応でもふだんよりは早く目が覚める。黎明の静寂を楽しみながら 歩いていると、耳元でぶんぶん音を立てながらもう虫が活動している。 真っ黒な背中に黄色いオシリ。クマン蜂である。ずいぶん早起きなのだ。 仲間を引き連れ、濃いピンクの花をつけた百日紅の枝から枝へ渡っていく。 ひとしきり廻った後、急速度で降下して今度は小粒のジャスミンの 花へたどり着く。か細い茎が虫の重量で大きくしなる。 芳香が辺りにたちこめるや、息つく間もなく池に渡り、大きな蓮華の 花芯へと潜っていった。小さなミツバチであろう、あわてて脇へよける。 白蓮の真っ白な花弁の中では、黄色いオシリがおしべに隠れて黒い背中が ひときわ目立つ。花から花へと渡り、朝からよく働くことだ。植えたこと もないのに、思わぬところから百日紅の枝が出現したりするのは、 きっとクマン蜂の仕業に違いない。植物の受粉の恰好の媒介者となっている。

  植え替えをして肥料を少しばかりやったのが効いたのか、 蓮池の白蓮がことしは十二も花開いた。一度に開くのでなく、ひとつ、 またひとつと次々に茎が伸びてきて蕾をつくり、数日して開花するので 見に来る人を喜ばせる。蓮池には、自然に湧き出たり、山から搾れてくる 裏の池からの水を引いている。蓮の下で泥だまりをつくり、養分がいいのか 割って蔓延る雑草も太くて強い。春先にはヒキガエルが出現し、 産卵してまたどこかへ姿を隠す。おたまじゃくしと成って孵る頃には、 こどもたちの絶好の遊び場となり、学習の場ともなる。アメンボーやヤゴなど 小動物の宝庫でもある。入梅の頃には、半径十センチから二十センチの蓮の葉が にょきにょきと伸びてきて、お盆の到来を予感させるので何かと気ぜわしい。 泥だらけの池沼からすっくと顔を出すかぐわしい白蓮は、大乗仏教で云う 煩悩即菩提の象徴とも言われるし、仏さまが安らう浄土の象徴でもある。 その凛とした威厳は、汚泥を栄養としてこんな見事な花を咲かせてみろと、 無言に説法しているようにも見える。開花した姿もこの上なく清らかだが、 蕾の清楚な姿は亦ゆかしい。花は三日と持たないので蕾がいっそう尊く見え、 思わず拝みたくなる。「こんな蕾に酒をいれて酒を飲めばさぞかし美味い だろうな・・・」などと仕事に来ているシルバーセンターのおじさんが 早朝から言うもんだから笑ってしまう。「般若湯」というぐらいだから 蓮華の盃で飲んだって悪くはない。煩悩即菩提は、煩悩がいきなり突如 変身して菩提に変わるわけではなく、酒が発酵して芳醇な香りを放つように、 そこには時間の摩訶不思議なはたらきがある。渋柿が雨風にさらされ、 熟して甘くなっていくように・・・。

  親族の法事で本堂に集まり、たまたま蓮の花を目にする ことができた人の驚きは歓喜に近い。蓮華は、逝った人の成仏を浄土 から荘厳してくれているように見えるのだろう。


人の亡き跡ばかり、悲しきはなし。中陰のほど、山里などに移ろひて、便あしく、狭き所にあまたあひ居て、後のわざども営み合へる、心あわたたし。日数の速く過ぐるほどぞ、ものにも似ぬ。
(徒然草第三十段)

   それにしても時間のたつのは速い。初七日から五七日、七七日、百箇日、 新盆、初彼岸、一周忌・・・瞬く間である。家人を送った人たちが 異口同音に光陰の速やかなることをいう。古人は、人生また夢の如し、 朝露の如しという。古希という言葉は「人生七十古来稀なり」という杜甫の 言葉に由来するが、良寛は「首(こうべ)を回(めぐ)らせば 七十有余年・・・」と詠んだ。


回首七十有余年    こうべめぐらせば 七十しちじゅう 有余ゆうよ ねん
人間是非飽看破    人間じんかん是非ぜひ  看破かんぱ
往来跡幽深夜雪    往来おうらい  あと  かすかなり  深夜しんやゆき
一※線香古窓下    一※いっちゅう線香せんこう  古窓こそうもと

※は火ヘンに主

  ふっと振り返ってみると七十数年の人生を生きてきた。 瞬く間である。人間世界の是非、得失、善悪、好悪はいやというほど 見てきた。せつせつと降る真っ白な雪が人跡を幽かに覆っていく。 線香をともして一人坐していると古の聖人の行履(アンリ、修行、生きざま) が偲ばれる・・・。

  シビれるような詩である。人間世界の是非、白黒の区別を 始めたらもうお終いだ。是非善悪の区別は分別であり、永久に分裂していく。 北より見ればものは皆南にある・・・。

  良寛がこよなく敬慕した道元禅師は、「身心脱落」という 悟り体験を後には「透脱」ということばで表現しておられる。白蓮の白さ でもあり、白に白を重ねて脱化していく雪の白さをも連想させる。 それは「悟り」の痕跡を絶えず消していく無所悟、無所得の境涯でもある。

  いろんなことを考えている間にさきほどのクマン蜂は もう次の在処へと移っていった。香りを存分に楽しんだりひと所に 住するということがない。「遺教経」といわれる経典は、お釈迦様が 涅槃に入られる前、お弟子様方を前にした最後の説法である。その中の ひとつに「知足」(足ることを知る)ということを説いておられる。


知足の人は地上に臥すと雖も、なお安楽なりとす。不知足の者は、天堂に処すと雖も亦意にかなわず。不知足の者は、富めりと雖も而も貧し。

  八月は死者を思い、いますが如く迎える月である。 原爆や終戦の月でもある。終戦後の先人のご苦労を、このグルメ飽食の 時代に生きる子どもらにどのように伝えていくべきか。







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