甲州光沢山青松院

青松院仏舎利殿

スリランカ共和国から仏舎利奉戴

昭和58年(1983)2月、当山三十世安居太道師を団長とする檀信徒24人の仏舎利奉戴 親善使節団は、スリランカ共和国のJ・R・ジャヤワルデネ大統領の招きで首都コロンボ のペラヘラ(仏舎利まつり)に参加。この祭典の席上で大統領代理のプレマサダ首相 (後の大統領)から仏舎利を奉戴した(写真)。

ジャヤワルデネ大統領は昭和26年(1951)9月、サンフランシスコで開かれた 対日講和条約および日米安全保障条約調印の席で、釈尊の教え「憎悪は憎悪によって 止むことなく愛によって止む」(発句経)を引用し、「同じ仏教国の日本に対し、 憎悪をもって償わせるのは釈尊の教えに反するものである」と演説。日本の賠償権の 放棄を宣言した慈悲あふれる政治家である。

富士山の見える寺院に仏舎利を奉納したいという大統領のご意思にかない、仏舎利 奉戴が実現した。帰国後、安居師は境内に仏舎利奉迎の記念碑を建立している。

安居師はこれを機に、仏舎利殿造立を発願。「幕末まで当山に四間半四方の仏殿が あったという古記録により、仏殿(仏舎利殿)を再建する。鎌倉円覚寺の仏殿(国宝) と同形式の純木造、禅宗様建築は中国の名僧蘭渓道隆(大覚禅師)が鎌倉の地に伝え 次いで甲州へも普及している。建立する位置は、七堂伽藍とよばれる禅宗寺院の 正しい伽藍配置とし、三門(山門)、仏殿、法堂(はっとう)を南北一直線上に並べる。 これが完成すれば、山梨県曹洞宗寺院唯一の仏殿となり、宗門のためにも意義深い 造立となる。」と趣意書に著している。安居師は仏舎利殿造立に先立ち、中国浙江省、 蘇州などの禅宗様建築を探求。当山の仏舎利殿は、中国浙江省武義県延福寺大殿を 原形とする鎌倉時代の三間仏堂を参考にしている。


本格的禅宗様仏舎利殿

仏舎利殿造立は、宮大工宮崎忠仍師、彫刻家柳本伊左雄氏師、橋本文彦師ら古建築技術者 と、檀信徒総代福島保氏他総代八名の奉仕により、昭和62年(1987)4月8日に着工した。

基礎工事は耐震性も考慮して鉄筋コンクリート、石積みを併用。礎石と柱の間に入る 禅宗様建築独特の礎盤(そばん)を築いた。つぎに仏舎利を安置する石造宝塔と台座を 中央に据え、柚木形石燈籠を左右に建立した。建材は樹齢数百年というカナダ産の檜材 を使用。一見して二階建て風の高い屋根や内陣建築など、本格的禅宗様建築に技術陣も 幾度か戸惑い、十年の歳月と巨費を投じて平成8年(1996)10月18日に完成した。


外観

低い石積みの基壇上に建つ。高く反りの強い上部屋根の下に裳階(もこし)掛けた 形式により重層に見えるが、内部は一階建てである。上部屋根の垂木は平行ではなく、 扇子のように開く扇垂木。その下の組物の中から二本の尾垂木がのびる。 裳階屋根の垂木は平行で、組物も簡略化した三斗組。柱は円柱で上下の角を少々 曲線に削り、柱下には木の礎盤を据えている。外部の柱は一面が六本で、柱間は 五間、正面には桟唐戸(さんからど)という戸がある。その左右にはさらに、上部に 花頭曲線という禅宗様独特の繰形をもつ戸を配す。



内観

上部屋根を支える母屋(もや)柱が十二本立ち、さらに来迎柱が二本立っている。 天井は鏡天井という桟のない平らな板張り。その鏡天井の周囲は扇垂木の軒裏を そのまま見せている。尾垂木や繋虹梁(つなぎこうりょう)などとともに複雑な 木組が美しい。母屋柱と裳階部分の側柱は海老虹梁という曲線のある虹梁で結ばれて いる。


仏舎利殿図

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