養生庵

 

山梨における風水の歴史と今について養生庵 能登貞人ブログの記事を再校正して掲載します。



丸い道祖神様

 甲府周辺の皆様は、よくご存じの道祖神です。 でも知ってましたか?こんな風に丸い形の道祖神は、全国の中でも山梨とくに甲府周辺で多く見られます。 色々と謎が多くはっきりとした学術的見解は出ていませんが、縄文時代から全国にあった自然崇拝のカタチが、仏教伝来以降も、なぜが甲府周辺に残ったようです。
 縄文時代、甲府周辺は全国有数な人口を誇り、とても栄えていました。人が暮らしやすい風水を元々兼ね備えていたんだと考えられます。 私は丸い道祖神様だ〜い好きです。
養生庵代表、能登貞人





竜華池(りゅうがいけ)



 竜華池は武田信玄より後の時代に造成された人造湖なのでは?と云うご指摘をいただきました。 調べてみたところ、確かに、現在の竜華池は大正時代に造営されたものでした。 ただ、風水的には、武田館の北東に池が在る事が風水的に意味がある、と考えていましたので、信玄公の時代にも必ず現在の竜華池のような存在があるはずだと考えていました。
 県立図書館にて調査した結果が写真の通りです。この古地図は江戸時代に入ってから聞き取り調査によって描かれた物ですが、明らかに現在の竜華池に匹敵するような、しかもかの有名な陰陽師・阿部清明のトレードマーク、五亡星でも解るように、風水的に意味在る三角形の人造湖が、館の北東に造られいます。 さらに驚くべき事に、戦いの神である摩利支天が池を護っていると云う事実です。 今となっては、どのような理由で、大正時代に埋められたはずの池が、再度造成されたのか、本当の理由はハッキリしませんが、現在の竜華池が在る事によって、甲府の風水が強まっている事は事実だと、私は考えています。

   甲府、現在の武田神社の北東にある人工池です。風水的に観ると、池というのは 流れてきた土地のエネルギーを受けとめて、そこに貯めておくエネルギータンクの ような重要な役目を果たします。今では有料つり場となり神聖さを失って、役目を 果たしていませんが、武田本陣がありし頃は、東の守り(青龍)として存在していた 事でしょう。




リニア線開通について考える・・・山梨県への提言

 リニア線ができると甲府はより東京と近くなり、 東京と山梨の関係についてしっかりとしたスタンスと計画が 必要になると考えます。
 風水的考察から見たしますと、山梨は東京の西に位置し、 東京を中心に観ると、女性を表します。 つまり今後、甲府の発展は、看護学校、美容学校、衣服やデザインなど、 女性を基本とした学校をたくさん誘致して、筑波のような学園都市を 目指すとベストだと提言します!
 あと甲府駅北口に建設予定の、県立図書館は駅に直結させてこそ、 発展の気の流れが創りだせるでしょう、もちろん県立美術館や 県立博物館や県立科学館を無料バスでつなく事が大切になります。
養生庵代表、能登貞人




武田神社−湧き水・姫の井戸

   皆さん良くご存じの武田神社にも湧き水があります。 もちろん古くからある物で、茶の湯などに用いられました。 少しわかりずらい場所ですが、本殿向かって左脇です。 ぜひ運気採りの際は口にしてください。 私は玉の清めにも使わせていただいています。感謝。




山梨X(エックス)プロジェクト

 いまの山梨県は完全に甲府市が衰退してゆく風水になっていますが、 これを何とか食い止めて甲府市を盛り上げる戦略が・エックスプロジェクトです。 アルプス通りか北口に巨大バスターミナルと無料駐車場をつくりそこを中心として、 北杜市から富士五湖をつなぐ若者遊びライン、塩山笛吹から市川身延をつなく 中高年歴史文化ラインの交通網を整備することがこのプロジェクトの概要です。 一番実現可能な山梨県復興戦略として提言します!




甲府城への気脈の流れ

   甲府盆地の北、愛宕山の最南端に甲斐奈神社が建っています。 そのまま下に降りますと、身延線金手駅前の八幡神社に至り、その西には 長禅寺さらに線路を挟んで南西に甲府城後へと気の流れがつながります。 武田氏滅亡後に徳川によって、甲府城へと引き込まれた気脈の流れと、 それを分断しようとして、線路を作った明治政府との攻防が此処に 読み取る事ができると言えるでしょう。




県立図書館について

 今やJR甲府駅から南は完全に住宅地としてふさわしい土地となり、 北口は気の溜りができてしまっている状態です。北口の気の流れを 少しでも良くしていくには、より学園都市化を進めるのが一番だと思います。 その為には県立図書館を甲府駅の北口に誘致すべきだと私は考えています。




山梨における風水の今

 東京などの大都市でもそうですが、江戸時代まで引き継がれた 風水の技術も文明開花の元すっかりすたれてしまい、土地の強い エネルギーを活かせず逆に駄目にしてしまう建物や道路、 トンネルなどが多くなりました。甲府は愛宕山トンネルの開通、 駅ビルの設立などにともない、城跡の南に広がっていた商店街が 運勢を失い衰退の一途をたどっています。
 これまでの流れから考えて東京も甲府も、また古くからある 都市の多くが、自然のエネルギーを利用した風水の力を衰退させ、 時の威勢者の私利私欲によってぼろぼろとなってしまっています。 来年はNHKの大河ドラマに始まり、ひとつの運勢の波がやって きます。愛宕山から北口をつなぐ開発いかんによっては、山梨県に 開運への道を開くことも可能です。 もし開発に関わる方でこの記事が目に止まるようなら、ぜひ一度 ご相談いただければ幸いです。




山梨における風水の歴史(2)

 信虎が甲府に龍脈を移したルートは、山梨市の養老酒造付近の 八幡神社から切差、太良峠を通り要害に至る道ではなかったかと 推測しています。実際、様々な痕跡を見てとることができますので、 関心のある方は是非一度、武田神社をまっすぐ北に上り要害温泉を 通り過ぎて古代のドラゴンラインをドライブしてみてください。 ドラゴンラインを通って行き着く先は要害温泉です。 ご存じ武田信玄が産湯を浸かった温泉です。露天風呂から見る夜景は とても綺麗で、いまでも十分に運気が湧き出るボイントと言えるでしょう。
 武田信玄が支配していた当時は、今の武田神社が信玄の住まいであり、 大地のエネルギーが噴出する「穴」の地でありました。またそのように 仕組む為に人工湖「龍が池」を置いたものと考えられます。
 武田氏が滅亡した事によって、穴(けつ)というエネルギー噴出スポットで ある武田館(現武田神社)は豊臣、徳川の手に落ち、そのパワーを封じられ、 今の甲府城後地へと、穴のパワーを移されてしまいました。 その際さまざまな風水の技術が駆使されたようですが、わかりやすいのは、 主要な神社、仏閣の移動によって、甲府城を護るとゆうものでした。 春日通りが栄えてきた大きな理由のひとつと言えるでしょう。





山梨における風水の歴史(1)

 山梨に風水の技術が用いられたのは、 中世に源氏が中心となって塩山市に移り住んだころからになります。 当時は京の都でもちいられる最先端テクノロジーであり、一部の 上流階級のみが知り得た極秘事項でした。 現在も塩山市に北の玄武を著す塩山とゆう山があり、 その脇に向岳寺とゆう禅寺をおき、穴として、エネルギーを 集めた形跡がはっきりとあります。 ゆえに塩山は中世における山梨の文化、政治の中心地として栄えました。 しかし武田信玄の父、信虎によって現在の中心都市、甲府へと、 富士山の龍脈を人為的に移してしまったのです。




牧丘の奇祭

 富士山のちょうど真正面に当たる所に、アジアから流れ来た 龍脈の運気を写し取るということを中世の陰陽師はやってのけました。 さまざまな名残りや習俗があると思われるなか、さる2006年10月10日に 牧丘のある村に伝わる奇祭に参加してきました。 おおむれ山と云われる山の頂上にある二つの大岩の間で火を燃やす というものです。 夕方4時くらいから準備を進め、富士を正面に塩山を左下に見下ろす 浅間神社に集合して凄まじい急坂を登ります。 もう頂上に着く頃には暗くなりはじめ、まずは岩の下にある御社にお参りし、 それから火をはなちます。約1時間ほど燃やしてから山をくだり 浅間神社で待つ人達と祝い酒で盛り上がります。 現在の風習はまだ歴史は浅く明治以降のようですが、明らかに富士山の エネルギーを授かりたいと願う人々の思いを強く感じました。
 突然の申し出にもかかわらず、快く受け入れ参加を許してくださった、 藤井様をはじめ多くの村の方々に心から感謝の意を表します。

 



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