甲州光沢山青松院


【心の杖言葉】

岐路こそまさに愛すべし

− 楊朱 −

 朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり- 私たちが歩んできた道、その真諦を明らかにし了畢すれば、もう死んだって構わない・・・人生の一大事はこれに尽きるといってよいでしょう。然しそんなに簡単ではありません。

 道を歩んでいると分かれ道に遭遇し、いずれか選択を迫られる時があります。進学するのか就職するのか、文系か理系か、学問・研究を続けるのか、それとも世の中に出て実学の研鑽を積むのか、或いは生涯色男(女)や酒飲みとして生きるのか、生涯求道者として生きるのか・・・、まあ各人各様、実に様々な岐路に出会います。

 中国の哲学者楊朱は道を歩いていて、岐路に出会い、自分は南にも行けるし北にも行ける・・・と言って泣いたという話が伝えられています。その涙は何処からくるものでしょうか。

 半世紀ほど前、日本の各地の大学は学園紛争で封鎖騒ぎ、たいへんな混乱の時期がありました。大学へ入学を果たしたものの、ストライキで授業は行われず、学生たちは途方に暮れ、自分たちで自主講座を開いたりして学問への憧憬、欲求を満たした時期がありました。その混乱の渦中にあり、大学教員をしながら著述に従事し、学生たちから熱烈な支持を受けていた人がいました。文学者では高橋和巳、柴田翔、哲学者では滝沢克己など・・・。大学紛争を契機として人間の根本問題を考え抜いた人たちです。表題の言葉はその高橋和巳さんが愛した言葉です。我々が歩む道は決して平坦な道ではないのです。

(令和2年11月)

写真下:大阪市夜景(都構想は否決されました)

「朝(アシタ)に道を聞かば 夕べに死すとも可なり」(論語 里仁から)
「億劫相別而須臾不離(億劫に別れて須臾も離れず)」(大燈国師)
「苦悩を貫き 歓喜に至れ」(Beethoven)
「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり」(傘松道詠)
「よろこびは ひゃくぶんのいちの しんいっぽ」(虚仮子)
「人生はいばら道、されど宴会」(樋野興夫)
「念ずれば花ひらく」(坂村真民)
「生きるとは 死ぬときまでの ひと修行」
「為君幾下蒼龍窟(君がため幾たびか下る蒼龍窟)」
「衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)」
「されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。」(吉田兼好)
「希望 工夫 気迫 感謝」(松原泰道)


【山内より】

 コロナウイルス感染拡大防止で、本年の稚児の舞は、さる7月18日光の森こども園の関係者、 寺院スタッフだけで観音さまに奉納いたしました。声楽の先生のナマの歌に合わせて立派に 演じることができました。 早く感染が収束して皆様の前で演じることができますようにお祈りしましょう。







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