甲州光沢山青松院


【心の杖言葉】

仏道を習うというは 自己を習うなり
― 現成公案 ―

 「いい言葉」というのは、心に残り、また汎用がききます。子育てを習うというは自己を習うなり、医療を習うというは自己を習うなり、芸術を習うというは自己を習うなり、武道を習うというは・・・等々。

 その昔、中学校の国語の時間に、漢字には象形文字、会意文字、形声文字、転注文字、指示文字、仮借文字があると教わりました。以来、「習」は 「羽」と「白」とが合わさった会意文字であると思ってきました。が、単なる会意文字ではないようです。ある偉い漢学の先生のお話によりますと、習の下の白は元々動作を表す記号で 鳥がバタバタ羽を動かし親鳥になって飛び立とうと練習をしている様子を表しているそうです。見様見真似で一生懸命動いているうちに、やがて時が来て、自分のモノになっていくというのです。仏さんの真似をしていると、本物の仏さんに近づいてくのです。習うとは絶えず新しい発見へと自己が開かれていることです。

 明治の宗教哲学者の清沢満之は、自己とは何ぞや、これ人生の根本問題なり、と言っています。

(令和4年5月)



「道は虚にとどまる 虚とは心斎なり」(荘子・人間世篇)
「至人之用心若鏡 不将不迎 應而不蔵」(荘子・応帝王篇)
「壺中日月長」
「少くして学べば 壮にして成すあり」(言志四録)
「而今の山水は古佛の道現成なり 朕兆未萌の自己なるがゆゑに現成の透脱なり」(山水経)
「過則勿憚改」(論語学而)
「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、その貫道するものは一なり」(笈の小文)
「岐路こそまさに愛すべし」(楊朱)
「朝(アシタ)に道を聞かば 夕べに死すとも可なり」(論語 里仁から)
「億劫相別而須臾不離(億劫に別れて須臾も離れず)」(大燈国師)
「苦悩を貫き 歓喜に至れ」(Beethoven)
「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり」(傘松道詠)
「よろこびは ひゃくぶんのいちの しんいっぽ」(虚仮子)
「人生はいばら道、されど宴会」(樋野興夫)
「念ずれば花ひらく」(坂村真民)
「生きるとは 死ぬときまでの ひと修行」
「為君幾下蒼龍窟(君がため幾たびか下る蒼龍窟)」
「衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)」
「されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。」(吉田兼好)
「希望 工夫 気迫 感謝」(松原泰道)




【山内より】

コロナ禍、早く終息して皆様の前で演じることができますように祈りをこめて。

(令和3年7月 青松院併設光の森こども園年長児)

 本年も花祭りは無観客で関係者だけで奉納しました。光の森こども園「森のホール」にて立派に演じることができました。

(令和3年4月)





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