甲州光沢山青松院


【心の杖言葉】

ホモパティエンス(受苦の人、忍苦の人、しのぶ人・・・)

― フランクルの言葉 ―  

逆縁も もらさで救う願なれば 准胝堂は たのもしきかな (醍醐寺准胝観音ご詠歌)

 西国観音霊場第11番、准胝観音(じゅんてい観音)が祀られている准胝堂はその昔上醍醐にあった。 とてつもなく広い醍醐寺境内の五重の塔をみやりながら、山道を登る。 かなりの山道、ちょっとしたハイキングコースである。 心地よいせせらぎの音を友としながら、ハアハアと少し息が切れかかった頃に上醍醐の准胝堂の前に着く。

なにごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに 泪こぼるる

西行法師でなくとも、難儀をして所願の目的地にたどり着けば感慨深い。 喜び、悲しみ、過去のわが身の所業・・・、心奥深くからジーンと響くなんとも複雑な共鳴・・・それを古人は「感慨深い」と表現したのだろう。

 観音様が男だ、女だという議論はあまり聞かないが、あらゆる仏さまの佛母だといわれる准胝観音はあきらかに母のイメージである。 私たちはこの娑婆世界で命授かり、生きている限り、いろんな人といろんなご縁を結ぶ。 全てが良き縁であることを願うが、はからずも「逆縁」と表現せざるを得ない縁もまたある。 芥川龍之介の「手巾」という小説に登場する西山夫人は、我が息子の死を息子の先生であった長谷川先生に報告に面会にくる。 気高ささえ感じさせながら、淡々と息子の死を語る夫人の様子、そのすがすがしさに先生は逆に驚くのであるが、なにかの拍子に机の下を見ると、夫人の手にはハンカチが堅くしっかりと握られ、裂けんばかりに指は小刻みに震えていることに先生は二度目の驚きを感じる。 赤ん坊はみんな泣きながらおぎゃあと生まれてくる。 喜んで笑いながら生まれてくる赤子など一人としていない。 みんな泣く。あれは、将来この身に降りかかってくる人間としての苦しみを前もって予感して知っているからだ、シェイクスピアの「リア王」にはそういうくだりがあった。

 青松院併設幼保連携型認定こども園、光の森こども園の職員研修に毎年遠路はるばる来てくださるP先生は教育心理、臨床心理がお仕事である。 その教育心理の仕事仲間にF先生という方がおられる。 F先生は大学の保健管理センターがご担当で、主に二十歳前後の青年のカウンセリングがお仕事。 ゼミの仲間との関係、恋愛問題、担当の先生との関係、学業の中での進路の問題、・・・F先生は学生諸君のさまざまな問題に精力的に相談にのっておられた。
が、ある時、S君という19歳か20歳の男性の学生がF先生のところに来た。 来たからには何か聞いてほしいのである。が、一回目も、二回目も、語らないのである。・・・? ただ、ただ、先生の前でポロポロ落涙するのである。涙を流して帰っていくだけなのである。一度目も二度目も。 なんとか、言葉を引き出そうと努めるのであるが、語らない。 いや、語れないのであろう。確かに涙を流すだけでカタルシスとなり、解放はされるのであろう。 しかし、F先生としたら、何とか言葉を引き出したい。 カウンセラー、セラピストとしたら、語ってもらわないことには処置のしようがない。 無理からぬことである。そういうことが三度ほどあり、S君は姿を見せなくなった。 ・・・この話には後日談があるのであるが、いずれまた・・・

 ホモパティエンスという言葉を創出したフランクルという人はフロイト、ユング、アドラーなどと並び語られるその世界の巨頭である。 彼の著作は教育学、心理学、精神医学関係者のみならず、基督教関係者、仏教関係者、そして一般の識者にも広く読まれている。 まことに多くの読者を獲得している。 夜と霧、死と愛、識られざる神、苦悩の存在論・・・その他その他・・・たくさんの著作。 人はどれかに出会い、自己の生きる意味を再発見する。

 観音さまは 言葉に表現できないような悲しみ苦しみ、辛さ、艱難・・・すべて「観」てくださる誠にありがたい仏さまである。 観音さまはよくご存じなのである。私たちはまたホモパティエンスでもあることを。
(令和7年9月)







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