甲州光沢山青松院


【心の杖言葉】


正師を得ざれば学ばざるに如かず

― 学道用心集 ―  



 ここは奈良公園ではありません。印度の鹿野苑でもありません。 青松院の本堂の裏の庭に鹿が出現しました。時あたかも役員会が終わり、護持会長、建設委員長など10名ほどの役員が談笑してくつろいでいるころです。 私たちの方をじっと見ています。 「皆さん、いつもご苦労さんです。青松院・光の森こども園の活動はいつもシカと見ていますよ。」と言っているようにも聞こえました。

 閑話休題。役員会のしばらく前には、光の森こども園で職員の先生方の職員研修がありました。 講師は本年もP先生です。関西在住の頃は河合隼雄先生の薫陶をうけ、山梨に来られてからも音楽療法の大家である松井紀和先生から臨床の要諦を伝授された心理学、臨床のプロです。 常日頃多くの子どもさんに接しておられる光の森こども園の保育士の先生方にとっては、かけがえのないスーパーバイザーです。 心理学、サイコロジーの語源はプシケ、私たちの魂の学問です。 「魂」の学問のプロから、保育士の先生方は毎年貴重な示唆、サジェスチョンを与えていただきます。 私たちの周りには、いろんな「先生」がおられます。 お習字の先生、ピアノの先生、語学の先生、芸術の先生・・・挙げればきりがありません。 その先生方自身もまた研鑽を続けていかなければ向上的に良い先生になれません。 「先生」によるパワハラ、アカハラ・・・なんていう言葉は聞きたくありません。

 表題の学道用心集の言葉は禅のマイスターが禅学を学ぶ人に、参禅学道する人に向けた言葉です。 正師を得ざれば学ばざるにしかず。 「先生」という仕事に就かれている先生方に是非とも味わっていただきたい言葉です。

(令和6年8月)


「エーレン、ヴエーレン」(ゲーテ、西東詩集からの言葉)
「大愚難到志難成」(夏目漱石)
「ステイハングリー、ステイフーリッシュ」(スティーブ・ジョブズ)
「菩薩行」
「辛抱という棒を一本建てよ  忍辱(六波羅蜜)」(板橋興宗禅師)
「愛情の温度計」
「何故なし!」(シレジウス)
「罪障の山高く 生死の海深し」(柏崎 地謡より)
「時時の初心忘るべからず」(花鏡)
「悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった」(病床六尺)
「放てば手に満てり」(弁道話)
「仏道を習うというは 自己を習うなり」(現成公案)
「道は虚にとどまる 虚とは心斎なり」(荘子・人間世篇)
「至人之用心若鏡 不将不迎 應而不蔵」(荘子・応帝王篇)
「壺中日月長」
「少くして学べば 壮にして成すあり」(言志四録)
「而今の山水は古佛の道現成なり 朕兆未萌の自己なるがゆゑに現成の透脱なり」(山水経)
「過則勿憚改」(論語学而)
「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、その貫道するものは一なり」(笈の小文)
「岐路こそまさに愛すべし」(楊朱)
「朝(アシタ)に道を聞かば 夕べに死すとも可なり」(論語 里仁から)
「億劫相別而須臾不離(億劫に別れて須臾も離れず)」(大燈国師)
「苦悩を貫き 歓喜に至れ」(Beethoven)
「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり」(傘松道詠)
「よろこびは ひゃくぶんのいちの しんいっぽ」(虚仮子)
「人生はいばら道、されど宴会」(樋野興夫)
「念ずれば花ひらく」(坂村真民)
「生きるとは 死ぬときまでの ひと修行」
「為君幾下蒼龍窟(君がため幾たびか下る蒼龍窟)」
「衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)」
「されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。」(吉田兼好)
「希望 工夫 気迫 感謝」(松原泰道)



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